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海や船と星と科学を伝える人のためのワークショップ ~海と日本プロジェクト~

2016.11.02

「海の宝をめぐる学びと体験 マリン・ラーニング(海でつながる)」の一環として、参加者に海の大切さを学ぶ機会を提供するとともに、海と星につながるストーリー、ならびに海と星について普段とは異なる視点を示唆する。また、海、星、科学などを伝える活動のヒントを、セミナーとワークショップの2部構成で提供する。

日程
10月2日(日)
第1部 10:00~11:30 講演「星と人をつなぐ仕事 -プラネタリウムとともに」
第2部 13:00~15:00 天測を題材とした工作ワークショップ

開催場所
公立はこだて未来大学

主催
サイエンス・サポート函館

共催
北海道大学大学院水産科学研究院

協力
NPO法人函館プラネタリウムの会

参加人数
20名

【講演会】
山梨県甲府市を拠点に活動する「星空工房 アルリシャ」の高橋真理子(たかはし・まりこ)代表と「ライトダウンやまなし実行委員会」の跡部浩一(あとべ・こういち)事務局長のおふたりを講師に迎えました。
高橋さんは、写真家の故星野道夫氏の影響を受け、オーロラ研究を夢見て北海道大学理学部に進学。卒業後は名古屋大学大学院で宇宙理学を専攻しました。ところが、院生時代の1996年に星野氏はTV番組の取材中に事故で急逝。高橋さんはこのショッキングな出来事の後、「ミュージアムをつくる」夢の実現にむけて、1997年より山梨県立科学館に就職し、天文を担当。プラネタリウムでの解説や関連する番組制作をおこなう一方、2008年に国際宇宙ステーションで活動した宇宙飛行士の土井隆雄氏の応援歌としてつくられ、シンガーソングライターの平原綾香さんが歌った『星つむぎの歌』の企画、ワークショップの開催など、「つなぐ」「つくる」「つたえる」をキーワードに、「星」を通じて多彩な人と分野をつないできました。また、2013年に独立後は、宇宙映像+音楽+語りによる「Space Fantasy Live」を病院、学校、企業などで開催するなど、全国各地で活動しています。
人と人の結びつきが希薄になり、孤立感を深めやすい今の日本社会。そんななかで星空を眺めていると、人にはいえない悩みごとも、昨日あったもめごとも、明日への不安もすべて壮大な宇宙に吸収されて、パワーをもらったような気分にひたれることがあります。星空を見ることの素晴らしさを思い出させてくれる高橋さんの活動は、きっと、多くの人々に感銘を与えてきたことでしょう。
一方、函館では、「函館マリンフェスティバル」や「函館港まつり」、「はこだて国際科学祭」など、さまざまなイベントを運営するボランティアの人たちや参加者が一体となり、年代や職業をこえて市民が交流する機会が数多くあります。また、漁村に行けば、水揚げしたばかりのイカを隣近所に配るといった昔ながらの近所づきあいがいまも残っています。とはいえ、なにせ函館は夜景の街。街中では、目をこらして見なければ、天の川を見つけるのがむずかしい環境です。星を眺めたくても、なかなかむずかしいというわけで、前日、函館湾を遠く眼下に望む「函館プラネタリウム館」でおこなわれた上映会も、海とともに暮らしてきた函館の参加者にとっては、十人十色の “気づき”の機会となりました。
そして2日目の第1部講演会。公立はこだて未来大学の大講堂で、演壇に立った高橋さんは、前日上映した宇宙映像のダイジェスト版を上映。さらに、移住や戦いなどあらゆる理由で海を渡った人々が命綱として活用してきた星空と人類の関わりについて講義しました。

【六分儀による天測航法】
2006年、山梨県立科学館のプラネタリウムでは、同館が制作したプラネタリウム番組「戦場に輝くベガ—約束の星を見上げて—」が初投影されました。ベガは、こと座に輝く恒星、織姫星のこと。番組の舞台は、1941(昭和16)年に勃発した太平洋戦争末期、1943(昭和18)年から1945(昭和20)年にかけてのお話です。
海軍飛行予備学生として翌日に入隊を控えていた大学生の和夫は、幼なじみの女学生、久子とふたりで、ある晩、星空の下にいました。灯火管制がしかれていた夜空には、ダイヤモンドを散りばめた帯のように天の川がきらめき、ベガは、そのかたわらで輝いています。「きびしい時や苦しい時には、あのベガを見上げるんだ。ぼくも見上げる」と和夫は久子に約束しました。
入隊した和夫は、その後、実在した海軍の陸上爆撃機「銀河」に搭乗し、偵察員として飛行機のナビゲーションや爆撃などを担う任務につきます。現在の航空機は夜間の飛行中でもGPS(Global Positioning System:全地球測位システム)によって自分の位置を知ることができますが、70年ほど前の航空機は、天測航法(天文航法ともいう)によって飛行。これは、目視できる太陽、月、恒星などの星と水平線との角度から自分の位置を知る方法です。
海を渡る人々は古くから星空を活用し、時代が下って18世紀に八分儀や六分儀が発明されると、さらに航海技術は向上し、このことがヨーロッパの世界進出を陰で支え、その後の歴史に大きな影響を与えました。これらの計測機器が普及しなければ、鎖国政策を敷いていた日本で、函館、横浜、長崎などの港が開港することもなかったかもしれません。
その開港から90年後、「銀河」に乗ることになった久夫には、航空機用に開発された「気泡六分儀」が渡されました。久夫たち海軍飛行予備学生は短期間の訓練で天測航法を覚えましたが、正確な位置情報を即座に得るために、海軍水路部では「高度方位暦」という主だった星の高度を計算し、1冊にまとめたものを搭乗員に携行させていました。偶然にも久子が通っていた女学校が海軍水路部に女学生を送り出し、久子も計算をおこなうことになったのです。
久夫の無事を祈りながら、本の編集作業に明け暮れる久子。物語は悲しい結末を迎えますが、この番組の企画段階からたずさわった高橋さんや前出の跡部さんらは、関係者を訪ね歩き当時の様子を取材。当事者たちの証言にふれるうちに、「戦争の記憶がどんどん薄れていく今、それを継いでいくのは私たちの世代の責任」と感じるようになったそうです。

【天測を題材としたワークショップ】
あいにくと太陽が雲に隠れていたため、会場となった公立はこだて未来大学の1階ホールから、2階の屋内バルコニーに取り付けた星形を目印に、参加者全員で計測体験をしました。
「意外に重たいねえ」といった感想もあれば、「使い方が難しい〜!」といったぼやきも。
さらにプラスチック製の定規とたこ糸、百円ショップで売られている伸縮棒、セロテープを使って「バックスタッフ」という天測機器にならい、それぞれに自作。「200数十円で代用品が作れるんですね!?」と、参加者一同が感激する一幕も。「部活で地学部に所属しているので、今日はいろんなことが勉強できてよかったです!」と元気に答えてくれたのは、遺愛女子中学校高等学校の雁沢夏子(がんざわ・なつこ)教諭とともに参加した瀬野亜依(せの・あい)さん。宇宙について学び、さらに海・船・星空と人のかかわりを知り、充実した日曜日になったようです。
この夜、函館の上空からは雲も消え、夜空に星がかすかに浮かびました。函館の街に面しているのは津軽海峡。星あかりは、イカ釣り船のパワフルな光におされ気味。そして、遠く水平線のかなたには対岸の下北半島にある大間の街あかり。これだけ光があれば、GPSや六分儀がなくても津軽海峡を渡れるでしょう。でも、古代は違った。丸木舟で津軽海峡を渡ったと考えられている人々が頼りにしたのは夜空の星。人類は星に助けられながら生きてきたといっても過言ではないでしょう。

メディア掲出
9月10日 北海道新聞

イベントレポートは実施事業者からの報告に基づき掲載しています