かつて日本一の海苔の収穫量を誇っていた東京・大森で海苔漁業の変遷について学び、その生態や多摩川の流域環境を知る「【おいしい流域】のり:大森 のりと、経済の、密接な関係」を開催しました!
一般社団法人おいしい未来研究所は、江戸料理研究家のうすいはなこさんをナビゲーターに「【おいしい流域】のり:大森のりと、経済の、密接な関係」を開催。東京・大森の海苔漁業や周辺産業の講義を通して多摩川中流域の環境変化について学びました。
2024.10.04
一般社団法人 おいしい未来研究所は、江戸料理研究家のうすいはなこさんをナビゲーターに、東京・大森の海苔漁業や周辺産業の講義を通して多摩川中流域の環境変化について学ぶ、「【おいしい流域】のり:大森 のりと、経済の、密接な関係」を2024年9月14日(土)に開催いたしました。
このイベントは、次世代へ豊かで美しい海を引き継ぐために、海を介して人と人とがつながる“日本財団「海と日本プロジェクト」”の一環です。
開催概要
山から海までのつながりを「食べること」を通して学ぶ「おいしい流域」プロジェクトの第三回目。水の循環システムの仕組みや、山が水に与える影響を学んだ第一回、上流域での川魚の生態系や木の山に対する影響を学んだ第二回に続き、第三回では中流域に場所を移し多摩川流域の住宅化・工業化やそれに伴う生態系の変化について学びます。イベントで学んだことを体験を通して実感し、日常生活に戻った際に川が自分の生活にどのように接続しているのか考えるきっかけにすることを目的としています。
日程
2024年9月14日(火)
開催場所
東京都 大森
参加人数
12名
大森 海苔のふるさと館
海苔の養殖発祥地であり、海苔の本場として知られている大森の地に2008年に開館した海苔のふるさと館。国指定の重要有形民俗文化財「大森及び周辺地域の海苔生産用具」を含む150点の展示を中心とした、地域文化の伝承と創造を目的とした当館にて講義を行いました。
当館の館長である小山さんより、海苔の生態系や海苔漁業の歴史の変遷を、館内の展示とともに伺います。
まずは、汽水域や海苔の生態系についてお話いただきました。大森エリアでの海苔生産は、江戸時代の中頃から始まりました。しかし、東京都沿岸部の埋め立て計画に応じるため、昭和38年の春にその歴史に幕を閉じました。かつて東京湾が海苔づくりに適していた理由は、①波が静かで遠瀬の海であることと、②栄養豊富な川(多摩川や隅田川など)が流れ込む汽水域である、ということが挙げられます。川と海が繋がり、栄養が十分に流れ込んできたことで美味しい海苔作りが可能になったということを学びました。
そして1階に移動し、船の模型の前で海苔漁業の歴史についての動画を見ながら、昔の人々がどのように海苔を作っていたのかを学びました。海苔を作るのには、非常に大変な作業が伴います。
まず海苔の胞子付けを行った後に、船で網についた海苔を収穫しに行きます。海苔の生産が拡大するにつれて、岸から遠い地点までエンジンのついた船に小舟を乗せ、漁場まで行くようになったそうです。昼間に海苔を収穫し、夜中の2時3時から乗り付け小屋で四角い形の枠に海苔を入れる作業が始まります。
太陽が昇ってきたら、天日で干します。乾くとピリピリ!と海苔が鳴く音がするそうです。
最後に、3階にて展示を見学しました。子供たちも楽しんで展示されている海苔下駄を履き、当時の作業を疑似体験しました。「こんな風に昔の人たちはやってたんだ!」と楽しそうに試していました。
また、海苔を生産するための道具がどのように変化を遂げていったのかを見て学びました。
江戸料理研究家 うすいはなこさんによる「海苔焼きの実演」
海苔の基本的な生態および歴史について学んだのちは、江戸料理研究家 うすいはなこさんによる海苔焼きの実演。乾海苔を電熱器で焼き、焼く前と焼いた後の香りや味の違いについて体感しました。
この日は10枚で約400円と2,000円の2種類の海苔を焼きました。価格が違うとどのように味わいや見た目に変化があるのか?焼くとどのように変わっていくのか?参加者全員でいろんな疑問をめぐらせました。実際に食べ比べると、「全然違う!」とその食感の違いに驚いていました。
海苔焼きの後は、暮らしの中でどのように人と海苔が接続していたのかをお伺いしました。
江戸時代には、焼き海苔は鯛一尾よりも高価だったため、献上品としてそのまま食べられることが多かったそうです。当時海苔が網に付くか付かないかは運であったことから、海苔は「運の草」と呼ばれていました。その後養殖により生産が安定し、一般庶民の食卓に海苔が並ぶようになったのは明治に入ってからのことでした。現在でもお歳暮で海苔を送り合うのは、「来年良い運が付きますように」という意味があります。
浜辺の見える場所で海苔を巻いたおにぎりを
かつて漁場であった浜辺が見える当館の飲食スペースで、うすいさんにお話をいただきながら塩むすびに海苔を巻いて食事を取りました。「海苔さえあればおかずになるね」「素材の味が美味しい!」といった声が上がっていました。
次の問屋街への移動までの自由時間にもかかわらず、江戸暮らしを実践されているうすいさんのお話に釘付け。海苔生産は、中国が700年代からの長い歴史を持っているものの、日本の技術は世界でトップレベルを誇ります。その理由は、日本が和紙すき文化を持ち、高い技術と手間暇をかけて海苔をつくってきたからです。また、日本の海苔は実は正方形でつくられていない、というお話も印象的でした。日本では古くから1:1.14が黄金比とされ、正方形は避けられてきました。海苔は山本海苔さんが規定した19cm×21cmでつくられています。参加者の皆さんは、「じゃあお重はどうですか?」「酒枡は正方形ですか?」と、皆さん興味津々で質問され、海苔から日本人の精神性についての気づきを深めていました。
問屋街巡りでお土産の購入を!
ふるさと館を後にし、一行は海苔の問屋街へ。かつて漁業が盛んだった頃は軒を連ねる数々のお店も今では閉じてしまった場所も多く、当日はその中でも歴史のある2つのお店へ向かいました。
1店舗目は「大黒屋」さん。
大正時代から和菓子屋として店舗を構えるこちらでは、海苔を使用した海苔大福と海苔ドーナツを販売しています。こちらに立ち寄り順々におやつを購入後、4代目である店長にお店についてのお話を伺いました。
海苔大福は、「周辺に海苔問屋さんが多いから、大森にちなんだお土産を作りたい」として先代が考案したもので、香り高い高知の四万十の青海苔を使用したお菓子です。現店長は、海苔大福よりもさらに賞味期限が長く楽しんでもらえるものを販売するため、海苔ドーナツを考えたそうです。
海苔をお菓子に使用する上では、海苔の味や香りが毎年少しずつ変化することを踏まえ、海苔が実際に手元に届いてから毎年レシピを変えるなど、お店の工夫が窺えました。また、海の海苔から作ると色が悪かったり香りが出なかったりするため、大黒屋さんでは川海苔を使用しているそうです。
2店舗目は、「海苔の松尾さん」へ。
問屋街の中でも350年と、最も歴史のある松尾さんにて、大森での海苔の周辺産業や海苔の目利きについてお話をお伺いしました。
海苔の見本を500種類ほど集めて味見をし、ほしい海苔を決め、入札し販売するのが海苔問屋のお仕事です。「どうやってたくさんの海苔を見分けるんですか?」という参加者からの質問に、「500円と1500円の海苔では、顔つきが違う」と答えられていたのが印象的でした。生産者がどれだけ手間暇かけて育てた海苔なのかは、色や艶を見ればわかるそうです。近年は特に海苔が大不作で、相場の3倍の額を支払って購入しているため、この「目利き」によって本当にほしい海苔を見分けることがより重要になっているそうです。
参加した子ども・保護者からの声
-「海苔の香りが全然違う!」との大人と子供の驚きの声
-「海苔さえあればおかずになる!」「海苔っておいしいね!」という子供の嬉しそうな声
– 「海苔ってこんなに手間暇がかかるんだから、安いわけないよね」という大人の気づきの声
1日を通し、海苔の漁業から周辺産業までをさまざまな方からのお話を聞きながら学びを深め、中流域がどのような構造であるのか、海にどのような影響をもたらすのかを知ることができました。次回は調布市の深大寺にて湧水とわさび農園の見学を通し、多摩川流域の住宅化が生態系にもたらす影響について学んでいきたいと思います。
イベントレポートは実施事業者からの報告に基づき掲載しています
参加人数:12人