海と日本公式サイトの最新ニュースをウィジェットで埋込み

<iframe class="uminohi-widget official-newest" src=" https://uminohi.jp/widget/newest/" width="100%" height="800" frameborder="no" scrolling="no" allowtransparency="true"><a href="https://uminohi.jp">海と日本PROJECT【日本財団】</a></iframe><script src=" https://uminohi.jp/widget/assets/js/widget.js"></script>

加賀などの小学生が北前船による海運で根づいた産業や食文化に触れる 「北前船と石川の海を学ぼう!~海と日本プロジェクト」を開催しました!

一般社団法人石川海洋環境研究所は、主に加賀市の小学校5・6年生が2泊3日の行程で北前船にゆかりの深い石川の寄港地を巡り、当時から今に至るまで私たちの暮らしを支えている「海運」の大切さを学ぶイベント「北前船と石川の海を学ぼう!〜海と日本プロジェクト」を開催いたしました。

2023.08.17

一般社団法人石川海洋環境研究所は、主に加賀市の小学校5・6年生が2泊3日の行程で、北前船にゆかりの深い石川の寄港地を巡り、ふるさとの産業の礎を築いた船主達の足跡と偉業、そして地域に根付く産業や食文化に触れることで、当時から今に至るまで私たちの暮らしを支えている「海運」の大切さを学ぶイベント「北前船と石川の海を学ぼう!〜海と日本プロジェクト」を開催いたしました。

このイベントは、次世代へ豊かで美しい海を引き継ぐために、海を介して人と人とがつながる“日本財団「海と日本プロジェクト」”の一環です。

開催概要
加賀市などの小学生5・6年生がふるさとの偉人である北前船主たちの足跡と現代に伝わる文化に触れ、その当時から生活基盤を支えている「海運」の大切さを学ぶイベント。
日程
2023年8月1日(火)~8月3日(木)
開催場所
加賀市橋立町、白山市美川、金沢市大野町、志賀町富来・福浦港、七尾市・一本杉通り
参加人数
22人(加賀市、金沢市などの小学生5・6年生児童)
協力団体
加賀市文化振興課・教育委員会、北前船の里資料館(橋立)、マルヤ水産・割鮮しんとく、ヤマト醤油味噌、シーサイドヴィラ渤海、志賀町富来B&G海洋センター、さくら貝小貝クラフト華、能登金剛遊覧船、のと里山里海ミュージアム、昆布海産物處しら井、高澤ろうそく店

資料館見学とフィールドワークで学ぶ「加賀橋立は”日本一の富豪村”だった!」

数多くの船主屋敷や文化財が残り「北前船の里」として全国的にも名高い加賀市橋立町からプログラム最初のフィールドワークがスタート。同市学芸員・神尾千絵さんの案内で、北前船主屋敷を巡りました。

日本の海を股にかけ幕末から明治にかけて活躍した北前船。三方を海に囲まれた石川には数多くの寄港地があり、中でも「日本一の富豪村」と称された加賀橋立には数多くの有力な船主達が住んでいました。

大きな屋敷の屋根に使われているのは、同じく寄港地である島根県から伝わったとされる赤瓦。そして塀に使われている福井産の「笏谷石(しゃくだにいし)」は、柔らかくて加工しやすく火にも強い事から、様々な建物の材料となり、北前船の積み荷としても北海道に運ばれていきました。

神尾さんは「船は重い方が安定するので、北前船は船底に笏谷石を積んで北海道に向かいました。帰りには空いた所に鰊や昆布、小麦などを積んで来ましたが、特に鰊はその内臓が良い肥料になったので、西日本で綿花が多く生産されるようになりました。」目にする風景の大部分が北前船由来と知り、子どもたちは驚いている様子でした。

海を介して各地の寄港地とのつながりを知った子どもたち。中でも北海道の小樽市と加賀橋立の深い関係について、東京理科大学の専門家・菅原慶郎先生のオンライン授業を受けました。

「北海道から運ばれた品物としては鮭や鱈、鰊、そして昆布が有名です。皆数の子って知っているかな?」

「お正月にお爺ちゃんが食べていました!」

「そう。昆布や数の子はお節料理に入っていますね。しかもそれが全国的な風習となっている事が北前船の功績です。その他にも、皆さんの地元の赤瓦は小樽にも運ばれていて、加賀橋立の地名が付いた『江沼瓦』と呼ばれていました。」

昆布、鰊、そして赤瓦。子どもたちは「この名前はさっきも聞いた!」と声を上げながらノートにまとめていきました。

北前船がもたらした食文化とは ~ 白山手取川の伏流水を使った保存食

お昼ご飯に並んだのはフライや小鉢など豪華なメニューです。

「この中に、北前船主が婚礼の際に食べた物があります。まずは昆布で出汁をとったハマグリのお吸い物、小鉢の松前漬け。松前は北海道の地名です。ふぐの子の糠漬けも、お茶漬けで是非食べてみて下さいね」

神尾さんの話を聞きながら糠漬けの独特な香りと味に驚いた子どもたちは、その「ふぐの糠漬け」を作っている工場がある白山市美川に向かいました。

ここ石川県は全国で唯一、猛毒を持つフグ卵巣の加工が許可されています。何故そのような製法が生まれたのか、「美川おかえりの会」の観光ガイド・北要夫さんに話を伺いました。

「美川には元々、海産物を塩漬けにして保存する技術がありました。北前船で届いたふぐの卵巣も塩漬けにしたところ、猛毒のテトロドトキシンが消えて、美味しく食べられる『ふぐの糠漬け』が生まれました」

参加者からは「何故、美川には塩漬けにする技術があったんですか?」という質問が。

「石川では多くの海産物がとれるのに加えて、加工する時に必要な綺麗な水が沢山あったからです」

霊峰白山から流れる手取川の河口にある美川には、豊かな伏流水が湧き出していました。自然に濾過されて、水質が安定している伏流水を使って水産加工が発達し、より品質の優れた加工品が生まれたそうです。

北さんは、地域住民たちに昔から使われてきた伏流水の水汲み場「お台場の水」も案内しました。

金沢市大野町に根づく「味噌と醤油」について学ぶ

続いて向かったのは金沢市大野町。金沢の海の玄関とも言われる港町の周囲には、味噌と醤油を作る工場が数多くあります。ヤマト醤油味噌の山本耕平さんに、その背景を教えてもらいました。元々醤油と味噌の産地だった大野は、江戸時代に加賀藩が産業として積極的に進めた事でさらに栄えました。材料は北前船が運んだ大豆と小麦に加えて能登の塩、そして、ここにも白山を現理由とする良質な伏流水が。

「僕達の先祖が作った醤油と味噌は、加賀藩によって整備された金沢港から船に乗って他の土地に運ばれて行きました」

子どもたちは開運でもたらされた大豆などが新たな加工品として運ばれていくこと、そしてそこには石川県ならではの知恵と自然の恵みが関わっている事を学びました。

「海のそなえ教室」~海での助け方、助かり方

2日目は、海での活動に大切な「海のそなえ教室」の実習を行いました。志賀町富来B&G海洋センターの西紘希さんは、夏休みに入って水の事故が増えていることについて話し、子どもたちに問いかけました。

「皆さんは溺れている人を見つけた時、どうするのが良いと思いますか?」

1:助けに飛び込む 2:手を掴む 3:ペットボトルを投げる 4:助けを呼ぶ

「3番の『ペットボトルを投げる』が一番多かったけど、正解は『助けを呼ぶ』です。まずは助けを呼んで下さい。その次に出来る事が『ペットボトルを投げる』です。もしペットボトルを投げてもらって、それが小さい時や波がある時は顎の下に入れて下さい。空気を吸えるようになります。浮いていれば必ず助けが来ます。だから動いて体力や酸素を使ったりせず、浮いて待っていて下さい。」

西さんの指導に、子どもたちは納得した様子で、「もしもの場合に是非役立てたい」といった感想を話していました。

さくら貝など小貝を使ったアート作品づくり

続いて増穂浦海岸へ。ここは「日本の小貝三名所」で、さくら貝など小貝を使った装飾アートを手掛ける美智紀さんによると「約600種類」の貝が拾えるそうです。そこで参加者から「何故、増穂浦でそんなにたくさんの貝が拾えるんですか?」という質問が。

「増穂浦は湾に流れ込む川の多さや近くに岩場があること、海の砂地が砕けた貝を含んでいて貝が過ごしやすいこと、そして何より海がきれいなことが、数多くの貝が拾える理由と考えられています」

子どもたちは、さくら貝など小貝を使ったアート作品にチャレンジし、感性豊かな作品が仕上がりました。

絶景の能登金剛から「外浦随一の風除け港」福浦港へ

次に向かったのは、志賀町の景勝地「能登金剛」。遊覧船で北前船の寄港地だった福浦港へと向かいます。深い入り江の福浦港は、古来より「外浦随一の風除け港」と呼ばれていました。志賀町富来観光ガイドの会「又次」会長の松下宗恵さんによると、能登金剛は荒波で削られた岩の景色が良く、大阪から来た船乗り達にとって近くを通るのが楽しみな場所で、その荒波を乗り越えてたどり着く福浦港は、湾内に入るとすぐに波が穏やかになる「船乗りたちにとって心強い場所」だったそうです。

天然の入り江に恵まれた福浦港は北前船の時代より遥か昔、奈良時代から渤海国との交流があった港です。海を臨む高台には現存する日本最古の西洋式木造灯台「旧福浦灯台」が佇みます。松山さんは302年余りに渡って火を灯し、海の道標として航海の安全を見守ってきた灯台の役割を語りました。

高台には、金比羅神社があり、小さな建物ですが、奈良時代から風除け港として栄えてきたという圧倒的な歴史を持つ神社には、全国的にも類例を見ない意匠の絵馬も奉納されています。

子どもたちは、福浦港の重要性と、そこに建てられた灯台の役割を学び、さらに安全を祈願して建立された金毘羅神社を見学し、遠い昔の情景を思い浮かべ感慨深そうでした。

七尾で発展した北前船由来の産業とは?

能登半島東側、波静かな七尾湾にも風除けの港がありましたが、他の寄港地とは異なり、商業と工業の町として成長しました。その違いは何なのか。まずは七尾にある「のと里山里海ミュージアム」で学びました。

講師はミュージアムの和田学副館長。北海道で大きな産業となった鰊の肥料「鰊カス」を作る際に必要な「筵(ムシロ)」は、当時の北海道では材料が無く生産できなかったそうで、その事を聞きつけた七尾の商人が、もともと織物産業が盛んだった七尾の人達に「筵作り」を紹介して大きな産業になり、そして生まれた筵は七尾最大の商品として北前船によって北海道に運ばれました。

「その筵を使ってできた肥料がまた七尾や関西に運ばれて、そこからまた商品が生まれました。皆さんが今から行く一本杉通りにも、北前船で運ばれた品物を使った商品が沢山有りますよ」

続いて、七尾市内の一本杉通りへ。ここには約600年の歴史をもつ商店街があります。

北海道から届く昆布を扱う昆布海産物店の白井洋子さんは、昆布を出汁や具材として食べるのは北陸の独特な文化だと語ります。

「先日取材しに来た東京のテレビ局の方が、とろろ昆布のお握りを食べたことないって。店で買って嬉しそうに写真を撮っていました。みんなは食べた事ある?」

子どもたちからは「あります!」「大好き!!」と声が上がっていました。

和ろうそくを作っている高澤さんは、「全部海のおかげ」と語ります。藩の政策として和ろうそくの産業が生まれ、九州から届くハゼの実や芯、芯をまとめる真綿も北前船で届き、中でも真綿は、北海道から届いた鰊カスが良い肥料となり、質の良い綿花がとれたそうです。

子どもたちは実際の商品を見て仕事の内容を知ることで、「海を介した経済の循環」に気が付きました。

海のクイズ王~北前船の歴史と海運について

最後は、クイズで3日間の「北前船と海の学び」を復習します。本格的な早押しボタンを使い3問先取で戦う「海のクイズ王・北前船バージョン」です。

クイズ大会では、初の早押しボタンにドキドキしながら元気に解答! すっかり打ち解け合った子どもたちはお互いにエールを送り合いながら、学びの3日間を振り返っていました。

そして最後に今回の宿題が。それは北前船と石川の自然と技術が生み出した「ふぐの子ぬか漬け」を使った「オリジナル寿司」のアイディアです。後日、このアイディアを元、「オリジナル寿司」を開発し、実際に、地元の料理店や寿司店などで一般販売する予定です。思わぬ宿題に驚く子ども達ですが、早速色々なアイディアが生まれているようでした。

参加者からの感想

・クイズ王で負けてしまったけれど、勉強の復習が出来て良かった
・印象に残っているのは船に乗った事。昔の人はこんな思いをしたのかと、苦労したことがわかったから。
・北前船と石川の海が、石川県が発展することに重要な役割を果たしている事がわかった!

 

イベントレポートは実施事業者からの報告に基づき掲載しています

参加人数:22人