ヨコハマ海洋市民大学2025年度講座第8回「横浜発・港に灯る個性たち」を開催しました!
ヨコハマ海洋市民大学実行委員会は、令和8年1月8日(木)に横浜の海が抱える社会課題の解決に挑戦する市民を養成する、ヨコハマ海洋市民大学2025年度第8回講座「横浜発・港に灯る個性たち」を開催いたしました。このイベントは、次世代へ豊かで美しい海を引き継ぐために、海を介して人と人とがつながる“日本財団「海と日本プロジェクト」”の一環です。
2026.03.03

イベント概要
・ヨコハマ海洋市民大学実行委員会は「横浜の海が抱える社会課題を自ら考え、解決できる市民(海族・ うみぞく)」を育成するヨコハマ海洋市民大学2025年度講座の第6回目を開催した(年10回開催)。
・開催日時:令和8年1月8日(木)19:30~
・開催場所:象の鼻テラス(横浜市中区)
・参加人数:47名(会場受講生28、オンライン受講生8、講師1、ゲスト・スタッフ3、実行委員7)
・共催:海と日本プロジェクト
・後援:横浜市・海洋都市横浜うみ協議会
講師紹介と活動概要
今回の講師はフリーペーパー「灯台どうだい?」編集発行人で灯台マニアの不動まゆうさんにお越しいただきました。不動さんは自腹で(!)2014年2月に「灯台どうだい?」の編集発行を始め、無償配布をしながら灯台の魅力を発信してきました。その活動はもちろん現在も継続されています。ヨコハマ海洋市民大学では海への想いを具体的に自分の活動とする方のおひとりとして不動まゆうさんを毎年講師としてお招きしています。近年は書籍を執筆されたり、灯台フォーラムを企画実施されるなど、多方面にわたり活躍されています。
灯台どうだい?のHPはこちらから https://toudaifreepaper.jimdofree.com/
灯台とは
講師から灯台の基本的な役割のお話がありました。灯台がない時代は周辺の地形や星の位置などから自分の居場所を探し出し、正しい航路をみつけ航海をしていました。しかし星の見えない夜はどうしましょう。月明かりのない日もあれば霧が濃くて周辺の地形を確認できないときもあります。そんな時に安全に航行するための目印機能として発展してきました。昼間はその形や色で、夜は各灯台固有の光り方で安全に貢献しています。
目印としてはクロス方位法による船位測定方法を紹介されました。また各灯台には固有の光り方(灯質・光の周期)があり、横須賀の観音埼灯台は15秒に2回白い光を発し、剣埼灯台は30秒に白が2回と緑の光が1回発することなど、そしてそれが海図などにも記載されているなど、それぞれの灯台の違いについてお話されました。また名称も岬などに立つ沿岸灯台と港の防波堤に立つ防波堤灯台があり、防波堤灯台は防波堤の端で港の入り口を示しています。
講師 不動さん
講座の様子
日本には現在3,000基を超える灯台がありますが、その3分の2以上が防波堤灯台でです。港への入港時は、左舷側の白灯台(夜間は緑光)と右舷側の赤灯台(夜間は赤光)の間を通るのが国際ルールであることも紹介されました。ただ実際には必ず灯台が左右セットで設置されている訳ではなく、灯浮標(ブイ)という海面に浮くブイがその一部の機能を果たしているそうです。また横浜港には現在8基の現役灯台と3基の廃止灯台があり、特に重要な歴史的灯台について解説されました。その中ではベイブリッジの下にある外防波堤灯台は昭和10年建設で2019年に役割を終えたこと、その後は取り壊しの心配もあったのですが横浜市が歴史的建造物として取得保全することになったことを講師は喜ばれていました。また皆さんご存知の赤灯台は明治29年(1896年)設置の日本最古(130歳)の防波堤灯台として現在も現役で、まさに横浜港のシンボルなのです!(と力強くお話されていました)。
横浜港の灯台
保全された防波堤灯台
また灯台の機能をもった他の設備(施設)として明治期に設置されていた灯台船も紹介されました。灯台を設置するのが難しい場所にも灯台の機能を持たせることができます。横浜では本牧で明治2年11月から運用されていました。写真ではモノクロですが実際には赤く塗られ、掲げられた丸い球体が夜間はランタンの灯がともっていたそうです。
現在の本牧防波堤灯台と同じ役割だったようです。つづいて航路標識(横浜港西防波堤灯竿)が紹介されました。その場所もなんと講座会場象の鼻テラスの目の前、昔々イギリス波止場と呼ばれていた、象の鼻波止場の先端部分にありました。
本牧にあった灯台船
象の鼻にあった灯竿
土木技師たちが挑んだ横浜港
上記のような灯台船や灯竿を日本に設置した人物がいます。スコットランド出身で日本の灯台の父、リチャード・ヘンリー・ブラントンです。在日していた約8年の間に25基くらいの灯台を建設しました。また横浜ではまちづくりにも貢献したことで有名ですが、じつは当時(実現しませんでしたが)築港計画も設計提案されていたそうです。当時は国としても財政が苦しい時期だったようです。
ブラントン氏
幻の築港計画
ブラントンの幻と消えた築港計画のあと、9年後にその予算が苦しかった原因のひとつであった下関砲撃事件の賠償金の一部がアメリカから返還され、横浜の築港計画は一気に進むことになりました。その時に活躍するのが「水と港の恩人」と言われるスペンサー・ヘンリー・パーマーです。このあと彼は横浜港の設計、実行計画、工事監督として腕をふるいます。この時に現在の大さん橋の位置に鉄桟橋が建設され現在の横浜港の発展の元となりました。それまでは大型船が直接接岸できる施設が横浜にはありませんでしたがこの計画により近代港としての歩みが始まりました。
このパーマーの実行計画にも登場する先ほどの横浜港のシンボル(赤灯台)もこの図に登場しています。ただ講師はこの赤灯台がパーマーの設計によるものとは考えていないようで、まだ調査が必要だと語っていました。この頃(明治22年)すでに日本人技師も育っていたので、ひょっとしたら日本人の設計なのかもしれない、と言う可能性があるのかもしれません。
この第一次築港計画によって出来上がった横浜から世界への定期航路がこれまで以上に広がります(これ以前は香港や上海への定期航路はあったそうです)。
パーマー氏
赤灯台
横浜港とつながった港(横浜港から函館港へ)
横浜から函館へと至る航路をたどりながら、犬吠埼灯台や金華山灯台、尻屋崎灯台など、日本各地の個性豊かな灯台が紹介されました。登場した灯台は東京湾の第二海保灯台、観音埼灯台、劔埼灯台、洲埼灯台、野島埼灯台、犬吠埼灯台(ここでは初代第一等フレネルレンズについて熱い解説がありました)、塩屋埼灯台、金華山灯台(岬の上に立つ円筒形の可愛らしい灯台)、魹ヶ埼(とどがさき)灯台、尻屋埼灯台(日本初の霧信号である霧鐘の解説)、汐首岬灯台、葛登支岬(かっとしみさき)灯台、そして函館港へと到着しました。中でも尻屋埼灯台は、日本初の霧信号や電化実験が行われた技術的挑戦の場であり、灯台が単なる建造物ではなく、技術革新の最前線でもあったことが語られました。
この横浜から函館への旅の中でも灯台やフレネルレンズへの熱い想いが溢れています。
レンズの基本的な役割として光を遠くまで届ける役割から、回転の速度やレンズの面数によって光り方(灯質)を変えていること、フィルターの使用で色を調節していること。
歴史的背景として光源がランタンなど小さな炎からガスバーナーなどへ変化するにつれ、遠くに光を届けるためにレンズサイズが大きくなってきたこと、またその大きさ・重量のバランスからレンズが改良されてきたたこと。レンズには歴史的な進化が残されていること。残念ながらLEDの登場により大型レンズが減少傾向にある事などが語られた際は「なんでLEDが開発されたんだろう」とマニアックな嘆きもあり、会場を笑わせていました。もちろん講師は灯台の進化を肯定しつつ、古き良き時代の灯台についての熱い想いを感じさせる一コマでした。
第一等フレネルレンズ
濃霧時にならされた霧鐘
質疑応答
この後海外の灯台の紹介がいくつかあり、鬼ヶ島伝説のある島の防波堤灯台などデザイン灯台も紹介されました。
そして質疑応答へと続きます。
〇灯台守について。霧笛、霧鐘について
・戦後は海上保安庁管轄でそれ以前は逓信省の職員。バーナーを点灯するための高度な技術と献身的な仕事内容。光源の管理、海上監視、気象観測などを担当。家族と共に灯台に居住する職員もいた。すぐに病院にも行けないような厳しい環境下での生活だったが使命感を持って仕事をされていた。
・霧笛はリズムが灯台ごとに決まっていた。何十秒に一回大音量で鳴らすというような使い方。爆発音を使うものも有ったが事故などの危険性があり使われなくなった。また音は風に流されて聞こえにくくなるなどの理由から現在は廃れてしまった。
〇岬など僻地での建設方法は?
・人力で行けるところは運搬重量に応じた賃金を支払っていた。石材やレンガなどは可能であれば現地や近隣から調達していた。
・索道を作り、タワーをたて、滑車などを使用し引き上げる方法がある。石を切り出す技術者や運搬船(陸上より浮力の方が運びやすい)が活用された、海上からの方が条件がいい場合もある※。
※会場にいらした横浜国立大学豊穣な社会研究センター、元気なインフラ研究所所長の松永氏より補足
〇頭部が平らな灯台に雪が積もったら雪かきをするのか、GPSの普及で今後の灯台の役割は?
・雪かきをするとなると大変だが、この灯台の地域は風が強いところなので吹き飛ばされるのではないかと想像している。GPSがあるから灯台がいらなくなるなんて想像は悲しすぎる!実際にはGPSが故障したり、機能しないという事態が起きた時には必ず必要になる。また日本の近代化に伴いたくさんの知恵と努力、そして灯台守の存在、そこから学ぶ沢山のことも灯台の価値なので将来に向けても残す必要がある。みなさんの協力が必要だ!
〇航路標識についてA方式、B方式など統一されていない理由や歴史的背景が有ったのか?
・ここについては詳しく調査していない。IRAという組織が世界標準として決めたと思うが統一されていない理由は分からない。海上保安部に確認する方が良いかもしれない。
〇灯台に付属している建屋について
・付属舎と呼んでいる。日本の沿岸灯台には多くついているが、防波堤灯台には少ない。横浜の外防波堤灯台は水堤なので簡単に行き来ができないため、当直をする必要が有ったと思う。また入出港の旗を掲示する担当者も必要だったと記録にある。
〇灯台の光源を回す動力や操作方法は?
・水銀の浮力を使い光源を浮かせて回りやすくしている。回転させる動力は錘を灯台上部まで引き上げ、落下運動を回転運動に変換して利用していた。高さが低い灯台は錘をあげる作業が頻繁で大変だったそうだ。
〇灯台の高さの決定要因は?
・光の到達距離や対象とする船の種類と航路、設置場所の地形などが要因となっている。また近隣灯台との差別化(識別しやすさ)や建設コストと工期なども決定要因となっている。
〇マリンタワーが灯台だった時の位置付けは
・きちんと調査していないので正確ではないが、シンボル的な灯台だったと思う(海上保安庁管轄ではなかった)。ちなみに江ノ島の灯台も民間企業所有の灯台だ。
〇本牧灯台船についてもう少し聞きたい
・明治2年〜41年まで40年近く稼働していた。船内にはトイレ、水夫部屋、物置、船長室、応接室などが有った。明治41年に撤去された理由については調査中。
新作の発行について
最後に不動さんのもう一つの活動、執筆活動ですがこの春に新しく「愛しの灯台100」の海外編が書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)より出版されるそうです。冒頭お話があったように自腹で「灯台どうだい?」を発行されているのでみなさんもぜひ書籍購入で応援してください(実行委員会よりのお願い)
参加者の声
・知らなかったことが沢山あり面白かった
・灯台の保存の必要性を強く感じた
・横浜市が歴史的なものとして灯台を取得したと聞いたので活用が楽しみ
<団体概要>
団体名称:ヨコハマ海洋市民大学実行委員会
URL:https://yokohamakaiyouniv.wixsite.com/kaiyo/
活動内容:横浜市民が横浜の海が抱える社会課題を自ら考え解決に向けて行動できる海族(うみぞく)になるための養成講座を年10回(コロナ禍以前は年20回)開催している。座学だけではなく実際に海や海を学べる野外講座も開催している。

日本財団「海と日本プロジェクト」
さまざまなかたちで日本人の暮らしを支え、時に心の安らぎやワクワク、ひらめきを与えてくれる海。そんな海で進行している環境の悪化などの現状を、子どもたちをはじめ全国の人が「自分ごと」としてとらえ、海を未来へ引き継ぐアクションの輪を広げていくため、オールジャパンで推進するプロジェクトです。
https://uminohi.jp/
参加人数:47人