海の宝を探る「下北ジオサイト」ツアー 〜海と日本PROJECT〜
海の宝を探る「下北ジオサイト」ツアーは、日本財団が推進する「海と日本プロジェクト」のサポートプログラムです。
2017.10.06
海の宝を探る「下北ジオサイト」ツアーは、日本財団が推進する「海と日本プロジェクト」のサポートプログラムです。青森県の下北半島に広がる「下北ジオパーク」の各ジオサイトを、高校生が5つのツアーにわかれてめぐり、報告会を行いました。
日本ジオパーク認定の「下北ジオパーク」の各ジオサイトを巡り、津軽海峡、太平洋、陸奥湾に囲まれる下北半島の大地、自然、文化等にふれることで、参加者自らの暮らしと海とのかかわりを再考することを目的としています。
日程
海の宝を探る「下北ジオサイト」ツアー :5月31日(水)8:30-16:00
下北ジオサイトツアー報告会 :8月30日(水)13:25-15:15
開催場所
5月31日:下北半島全域
8月30日:青森県立大湊高等学校2学年各教室
参加人数
188人(青森県立大湊高等学校2年生)
主催
一般社団法人しもきたTABIあしすと
下北半島の「下北ジオパーク」をめぐる!
世界35ヶ国127地域(2017年5月現在)にあるユネスコ世界ジオパーク。そのうちの8地域が日本にあり、 「下北ジオパーク」は、2016年に日本ジオパークとして認定を受けました。 青森県立大湊高等学校2年生188名が、尻屋崎ジオサイト、斗南ヶ丘ジオサイトなど下北に散らばる16のジオサイトを5つのツアーにわかれて巡りました。その後、8月30日に大湊高等学校で、5クラス51班による報告会が行われました。
野平・川内(のだい・かわうち)ジオサイトコース
下北半島の西側にある野平、川内ジオサイト。陸奥湾に注ぐ川内川上流にある野平高原を出発し、川沿いに下りながら川内ダムによってできた「かわうち湖」と湖畔の「道の駅かわうち湖」、「親不知渓谷(おやしらずけいこく)」、大正時代に栄えた「安部城鉱山(あべしろこうざん)」の遺構などを観察。森と海のつながり、開墾や鉱山の歴史などについて学びました。
野平高原は約192万年前に噴火した直径約5kmの野平カルデラの内側に位置しています。親不知渓谷のV字谷が人を寄せつけず、開墾(かいこん)がはじまったのは1948年以降に、満州や樺太からの引き揚げ者が入植してからでした。しかし、その後、川内川の治水によるダム建設で集落が水没したため、現在は、移転先から開墾した畑地に通い、レタスやダイコンなどの高原野菜や肉用牛を生産しています。
安部城鉱山は1917(大正6)年に最盛期を迎えた鉱山で、銀や銅を採掘していました。平安時代の初期には採掘が行われていたという説もあり、江戸時代には金、銀、銅の採掘地として知られていたといいます。最盛期には労働者やその家族などで人口が1万2000人を越え、青森市、弘前市、八戸町に次ぐ規模となり、川内町(現・むつ市)へと町制施行されました。しかし、銅相場の下落が引き金となり、1925(大正14)年に休業。今も残る煙突が往時を偲ばせる唯一の遺産となっています。この安部城鉱山の存在は、地域経済を発展させた反面、自然破壊をもたらしました。そのため、環境回復を目的に植林がはじまり、全国各地で展開されている「森は海の恋人」活動が下北でも広がっています。今回、見学した「海と森ふれあい体験館」では、リンや窒素など森の土壌からもたらされた栄養分が、川の中流域でのヤマメやサケ・マスの養殖に役立ち、流れ下った先の海を豊かにして海産物ホタテの養殖につながることを学びました。
なお、川内地区には大湊高等学校の分校もあります。
A:野平・川内コース
猿ヶ森砂丘・尻屋崎ジオサイトコース
猿ヶ森砂丘は、下北半島東部太平洋岸の東通村尻労(ひがしどおりむらしつかり)から小田野沢にかけて位置しています。尻屋崎は猿ヶ森砂丘より北に位置し、津軽海峡と太平洋を分ける境界となる岬。このコースを巡るツアーでは、太平洋によってつくられた下北最古の大地と、現在も形作られている砂丘を見学しました。
猿ヶ森砂丘は、幅が約2〜3km、南北の距離は約17kmにもおよび、国内でも最大級の砂丘です。海岸にたまった海浜砂が、風で飛ばされて形成されたもので、定義上は、森に覆われているところも砂丘に分類されます。現在よりも海水準が高かった約6000年前から形成がはじまり、拡大と縮小がくり返されたと考えられています。その間、一帯にはヒバ林が広がりました。青森県産のヒバは一般に「青森ヒバ」とよばれ、「木曽ヒノキ」や「秋田スギ」と並ぶ日本三大美林。砂丘の一角では、そのヒバが立ち枯れて砂に埋もれ、河川の浸食によって地表に現れた「ヒバの埋没林」が見つかりました。樹木の生育年代の推定から約 2000〜500 年前に、少なくとも4回、砂丘砂の移動で埋没したと推測されています。
ただ、猿ヶ森砂丘は、ほぼ全域が防衛装備庁の敷地。そのため、一般人はいわゆる「砂丘」の広がるエリアには入れません。今回は 現地ガイドさんの案内で、猿ヶ森砂丘の北端で砂地の観察となりました。
尻屋崎の大地は海成段丘面で、比較的平坦ですが、地表は冬季の北西風で削られた崖由来の砂で覆われています。この砂がそのまま太平洋に流れ込まないよう砂防林の松を植林。砂丘は芝で覆われ、尻屋崎で放牧されている寒立馬(かんだちめ)の餌場として、また、松林は風よけの場としても利用されています。寒立馬の放牧エリアは限られ、過放牧や荒廃地とならないよう頭数も制限されています。馬たちがのんびりと草を食む放牧地の一角には、2016年に点燈140周年を迎えた高さ約33mの尻屋埼灯台があります。レンガ造りの灯台では、高さ日本一!! 下北半島の観光スポットのひとつです。
そんな風光明媚な尻屋崎の背後には、標高約400mの桑畑山が控え、この山は石灰岩でできています。2億4000万年前に太平洋のはるか沖でできたサンゴ礁が、プレートに乗って移動し、ユーラシア大陸に付加して地上に現れました。なんと、ここからは当時生息していた二枚貝メガロドンの化石が見つかっています。
現在、太平洋岸は海成段丘面が浅い海底を形成し、コンブが繁茂。函館や津軽海峡に面した風間浦周辺でもとれるマコンブという種類で、太平洋の荒波に育てられ、十分に育ったころに岩から剥がれ、海岸に打ち寄せます。尻屋の集落では、そのコンブを拾い集める「拾いコンブ漁」が盛んで、尻屋産ブランドで流通しています。
B:猿ヶ森砂丘・尻屋崎コース
田名部平野コース(北部海岸ジオサイト・斗南ケ丘ジオサイト)
大湊高等学校があるむつ市は、南は陸奥湾、北は津軽海峡と2つの海に面しています。JRはまなすベイライン大湊線で野辺地から陸奥湾沿いに北上し、下北駅に続く大湊駅で終着となります。両駅間には田名部川(たなぶがわ)が流れ、この一帯が市の中心部として栄えてきました。
田名部川が注ぐ大湊湾は、陸奥湾の北東部に位置し、約4300年前の縄文時代にはすでに形成されていたと考えられている砂嘴(さし)が、海岸線と平行してのびています。この砂嘴は「芦崎」とよばれ、芦崎湾は砂嘴に守られた天然の良港として活用されてきました。古くは南部藩の交易品を載せた北前船が出入りし、明治以降は軍港へ、そして現在は海上自衛隊の船が停泊しています。
背後には標高878mの釜臥山(かまふせやま)がそびえています。恐山火山群のひとつで、約80万年前の噴火で形成されました。釜臥山は湧水に恵まれ、山裾には重力アーチ式石造堰堤の「旧大湊水源池水道施設沈澄池堰堤(きゅうおおみなとすいげんちすいどうしせつちんちょうちえんてい)が明治時代に建設されました。2009年に重要文化財の指定を受け、現在は「水源池公園」として観光客を集めています。
いっぽう、津軽海峡に面したむつ市の北部海岸ジオサイトでは、田名部平野が海底だった約12万年前以前の地層が、高さ約20m、長さ約8kmに渡り露出しています。また、北部海岸には、恐山・むつ燧岳(むつひうちだけ)の火山噴出物による砂鉄が大量に存在。むつ市に隣接する東通村では、700〜500年前の製鉄跡が発見されているほか、江戸時代には南部藩も製鉄を試みたという記録があります。
今回のツアーでは、さらに斗南ケ丘ジオサイトも回りました。約12万年前に海岸付近に形成された平坦地が隆起によって標高30mまで持ち上げられた海成段丘です。戊辰戦争に負けた会津松平家が移り住み、「斗南藩」として再興し、200世帯が土地を開墾し暮らしていましたが、一帯は火山灰の酸性土壌のため、開墾が進まないまま廃藩置県となりました。
その後、1941年に北海道から酪農家20戸が乳牛とともに移住。約400haの土地を開拓し、70数年の歳月をかけて、この地を酪農地帯に育てあげました。今回のツアーでは、「斗南丘(となみがおか)牧場 ミルク工房ボン・サーブ」も訪れ、新鮮な牛乳でバターづくりを体験しました。このコースでは、比較的新しく形成された大地と、その大地にもたらされた産業と歴史について学びました。
C:田名部平野コース
大間崎・風間浦ジオサイトコース
大間崎・風間浦ジオサイトコースでは、大間町と隣接する風間浦村を訪れました。大湊高等学校を出発して最初に寄ったのが、風間浦村活イカ備蓄センター。最近は漁獲量の減少に頭を抱えるものの、スルメイカ漁が盛んで、このセンターには300杯まで備蓄できる巨大な水槽があります。
風間浦村は本州最北端の村で、室町時代から知られる下風呂温泉郷は井上靖の『海峡』や水上勉の『飢餓海峡』の舞台としても登場します。本州最北の火山、「むつ燧岳(むつひうちだけ)」の裾野が海岸線にまで広がり、わずかな平地に住宅や旅館が密集。学校や田畑がある丘の上の平坦地は、約12万年前に波浪で形成され、その後、隆起したとのことです。蛇浦段丘とよばれるこの海成段丘も見学しました。
また、風間浦村の沖合は、津軽海峡の最深部にまで続く急峻な海底斜面で、アンコウの好漁場となっています。漁港に近いので生きたまま水揚げされ、風間浦村では「風間浦鮟鱇」として地域団体商標を取得しています。
そのほか、フノリやマコンブもとれ、海藻は特産品として道の駅などで売られています。フノリは、江戸時代に北前船の船着き場を築くために投入された石に付着しています。また、ここでとれる風間浦産マコンブでとったダシの風味は、和食文化の発展に影響を与えた函館産マコンブでとったダシの味に似ています。
大間町は、全国にその名をとどろかすクロマグロ(ホンマグロともいう)の水揚げ港。本州最北端の大間崎にはクロマグロのオブジェが飾られ、周辺はみやげもの屋が軒を連ねています。そして、意外にもここではタコの燻製がたくさん売られています。安定収入になるタコ漁も盛んに行われてきました。
大間崎、大間漁港を見学し、町営観光牧場「シーサイドキャトルパーク大間」と「西吹付山展望台」も訪ねました。ここは国道279号線から市街地へと向かう入り口付近。当日はあいにくの曇り空でしたが、晴れていれば、西吹付山展望台から函館も望めます。大間町と函館市は最短で17〜18km。両岸に住む人々は、遺跡の出土品から1万年以上も前から丸木舟で行き来していたといわれています。今回は、地球の壮大な営み、歴史、食文化を実感する体験となりました。
D:大間崎・風間浦コース
仏ヶ浦・佐井ジオサイトコース
仏ヶ浦は下北半島の観光名所として知られ、南北に細長い佐井村の南、下北半島の最西端に位置します。佐井村の東側には標高600〜800mの下北山地が連なり、大間町から通称「海峡ライン」(国道338号線)を海沿いに南下。途中から下北山地の曲がりくねった道が延々と続き、仏ヶ浦へと向かいます。また、一帯はニホンザルの生息北限地域で、国道にも出没します。今回の5コースのうち、このコースはもっとも秘境感あふれるエリアです。
今回のツアーでは、大湊高等学校を午前8時50分に出発し、国道338号線を陸奥湾に沿って西へ向かい、川内川に沿って上流方向へ進み、佐井村の牛滝(うしたき)という集落へ。牛滝からは「夢の海中号」に乗船し、約15分で仏ヶ浦へ。浜に上陸し、現地ガイドさんから説明を受けた後は、崖上の展望台との標高差約100mの斜面につくられた遊歩道を20分ほどかけてのぼりました。展望台の駐車場に待機にしていたバスで、国道338号線を佐井村の中心部に向けて北上し、「願掛岩」、「海峡ミュウジアム」、大間町のスカシユリの群生地「津鼻崎」を回り、16時に大湊高等学校に戻りました。
E:仏ヶ浦・佐井コース
下北半島ジオサイトツアー・グループ別報告会
5月31日のツアーから3ヶ月、参加者はグループごとに、8月30日の報告会の準備を進めました。当日は、ジオサイトツアーで撮影した写真や自分たちで作成したイラストやグラフなどを使い、8枚の電子紙芝居にまとめたものを、クラス単位で発表。青森県むつ市企画部ジオパーク推進課の職員3名と弘前大学食料科学研究所の福田覚准教授、初代ジオパーク推進員で、現在は千葉県立中央博物館研究員の平田和彦さんの5名が、それぞれ改善点を助言しました。
猿ヶ森砂丘・尻屋崎ジオサイトコースに参加した女子は、「いろいろ体験してきたことを8枚にまとめるのがたいへんでした。今日の発表にしても、みんなにどう伝わるのかがわからないので悩みました」とプレゼンテーションの難しさを実感したようでした。
「仏ヶ浦・誕生と文化の歴史」というタイトルをつけたある班は、平田さんから「内容がわかりやすく、とてもいいタイトルだ!」とほめられ、うれしそうです。パワーポイントのアニメーション機能やインパクトの有る写真を使ったプレゼンテーションも見られました。
全体的には、ツアーをもとに独自の視点でテーマを見つけ、しかもパワーポイントを完全に使いこなしている班がある一方、ツアーの報告を簡単にまとめただけの班もあり、内容もまとめ方もさまざまでした。大間崎・風間浦ジオサイトコースに参加して、「ふのりん」というオリジナルのキャラクターを考案した女子チームも!
「みんなの発表には、自分の知らない地域の話がたくさん出てきました。今日は勉強になったし、楽しかったです」という声があちこちで聞かれ、熱心にメモをとったり、身を乗り出して発表を聞いていたりと、熱気あふれる100分間となりました。
メディア掲出
6/ 1 読売新聞 (下北ジオパークツアー)
6/ 4 デーリー東北 (下北ジオパークツアー)
8/31 読売新聞 (下北ジオパーク見学会報告会)
ジオパークとは、地球や大地を意味する「Geo」と公園を意味する「Park」を組み合わせた造語で、地球を学び、丸ごと楽しめる場所です。ジオパークでは、そのジオパークの見どころとなる場所を「ジオサイト」に指定し、多くの人が将来にわたって地域の魅力を知り、利用できるよう保護を行います。ユネスコ世界ジオパークに認定されているのは、2017年5月現在、世界35ヶ国127地域で、そのうちの8地域が日本にあります。
2016年に日本ジオパークとして認定を受けました。その範囲は、まさかり形をした下北半島の北部の5市町村におよんでいます。津軽海峡、太平洋、陸奥湾に囲まれている下北地域は、火山活動でできた岩石が海流で削られてできた奇岩の景勝地「仏ヶ浦」や、前衛アートをほうふつとさせる海食地形の「ちぢり浜」、「恐山火山群」などバラエティに富んだ自然景観を観察することができます。また、地形や気候などの影響を受け、独自の文化や歴史が育まれてきました。
イベントレポートは実施事業者からの報告に基づき掲載しています