志賀島自由大学レクチャー4「海と考古学〜玄界灘をめぐる人々」~海と日本プロジェクト~
2018.12.11
志賀島自由大学レクチャー4「海と考古学〜玄界灘をめぐる人々」は、日本財団が推進する「海と日本プロジェクト」のサポートプログラムです。弥生時代〜古墳時代にかけての博多沿岸の砂丘の実態と、そこに住む人々および海外との交流の様子についての講義を行いました。
玄界灘沿岸には古くから砂丘が形成され、これまでの発掘調査で原始・古代の遺跡が多くみつかり、海民が対外交流において重要な役割を担っていたことを物語っています。このレクチャーでは、遺跡からみた海民の実態や海を通じた大陸との交流の様子を学ぶことを目的としています。
日程
平成30年11月17日(土)15:00~16:30
開催場所
九州大学大橋キャンパス「デザインコモン」(福岡市南区塩原4-9-1)
参加人数
10名
主催
九州大学ソーシャルアートラボ
遺跡から、玄界灘の考古学を学ぶ講義
このレクチャーでは、福岡市博物館学芸員の森本幹彦さんから、弥生時代〜古墳時代にかけての博多沿岸の砂丘の実態と、そこに住む人々および海外との交流の様子について詳しくお話しいただきました。福岡市内の西新町遺跡からは、東アジアのものだけでなく、西アジアからもたらされたと考えられるガラス玉なども出土したそうです。また、市内の諸岡遺跡からは、ゴホウラ貝を加工した装飾品(貝輪)なども出土しているそうです。男性の権威の象徴としても、海でとれたものが使われていたのです。博多湾沿岸が古くから日本の玄関口として機能し、海を介した活発な交流を行っていた様子がありありと見えてくるレクチャーでした。
参加者の声
・地元の古代の世界について、正確な最先端の情報を得られました。
・藤崎、西新、姪浜と、福岡市の地下鉄が走っている下に、たくさんの海の文明があったことは初めて知りました。
・弥生時代はみんな稲作をやっていたと思っていたが、やはり海の近くの民族は昔から海と向きあい、そのめぐみを得て生活していた様子がよくわかりました。
・昔の人はどのような船で、どうやって大陸に渡っていたのか気になりました。
イベントレポートは実施事業者からの報告に基づき掲載しています